ライターとしての哲学|芸術家として書く。職人として書く。そして――

コラム

フリーになるやつってのは、自分の中に表現したい何かがあると思うんだよ。技術的な事をあれこれ考えるより先にシャッターを押してんだよな。

――『イエスタデイをうたって』第5巻

このセリフは、漫画『イエスタデイをうたって』に出てくる一節です。

フリーのカメラマンになりたいのか、スタジオのカメラマンになりたいのか、悩んでいいる主人公リクオに向かって、先輩カメラマンが言ったセリフ。

これはカメラマンだけではなく、文章を書いているボクらライターの胸にも刺さる一言でした。

自分が何のために文章を書いているのか、その問いに立ち返ることは、ある種勇気のいることです。

その先に何も答えが見いだせなかった時の、喪失感は計り知れない。

しかし彼はこの後に、こう続けています。

そういうヤツらのことを芸術家と呼ぶなら、オレ達は職人だな。芸術家が型にはまらない写真を撮るなら、オレ達はクライアントの要望にきっちりこたえる。実物以上の写真でさ。

まあ…つまり…お前が”写真に何を求めるか”じゃないのかな?

いったいボクは文章に何を求めているのだろうか。何をしたいのだろうか。

それを考えてみました。

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職人としてのライター

ボクがメインで仕事をしてきたのは、クラウドソーシングによる案件受注でした。

これはまさに彼が言う「職人」の仕事です。

自分の力量と案件が求めているものがマッチした時、仕事は成立します。

クラウドソーシングに限らず、ライターとしてある程度仕事をしていくと必ずやらなければならないのが、クライアントとのコミュニケーションです。

このコミュニケーションとは仕事を進めるためのものなので、一般的なコミュニケーションが意味するものとは少し異なります。

クライアントが何を求めているのか、自分がライターとしてどんなものを書けるのか。

どのくらいで仕上げるのか、どんな内容にしていくのか、文章の雰囲気はどうするか。

そういったことをクライアントとライターの間でじっくりと話し合っていきます。

ボクはこの行為を、コミュニケーションと区別して「すり合わせ」と呼んでいます。

この「すり合わせ」でお互いが主張と譲歩を繰り返す中で、より良い第3の道を作り上げる、ある種のアウフヘーベン的な構造によってこそ、「職人足り得る」仕事と言えるでしょう。

ここにおけるライターとしての哲学とはいったい何でしょうか?

それこそがまさに、冒頭の彼が言った「クライアントの要望にきっちりこたえる」「実物以上」の文章で、ということなんだと思います。

クライアントの要望をしっかりと反映し、かつ今ある他の文章よりも良い文章を作り上げる。

これが職人としてのライターの哲学ではないでしょうか。

芸術家としてのライター

芸術家としてのライターが必ず持っているものが、ひとつあります。

それは「自分の表現したい世界観」です。

彼らは、自分が表現したいこと、伝えたいこと、社会に発信したいことを、強く持っています。

ライターとしての「コーズ」と言い換えても良いでしょう。

だから彼らは「技術的な事をあれこれ考えるより先にシャッターを押して」いるわけです。

面白いのは、「上達」という観点から考えると、こうした芸術家の姿勢というのが非常に理にかなっているということでしょう。

物事を上達させるためには、間違いなく「数をこなす」ことが必要です。

よくスポーツの世界にたとえられますが、どんなに正しいフォームや勝てる戦略を勉強していても、実際にやってみた人たちには敵いません。

打席に立たないバッターがホームランを打てるわけがないとは、まさにこのことです。

文章についても全く同じことが言えます。

最初から文章力が高い、いわゆる天才というのはこの世にごくわずかしかいません。

そのほかの人たちは、愚直に泥臭く、一文一文を積み重ねて成功しています。

そう考えると、あれこれ考えるより先に書いてしまう、芸術家としてのライターが、上達しやすいことは言うまでもないでしょう。

そして彼らには、世界観というオリジナリティも備わっています。

それは彼らの執筆のモチベーションにもなり、またその情熱は読んだ人々を魅了するのです。

ライターとしての哲学

じゃあボクは何なのか。ボクのライターとしての哲学は何なのか。

間違いなくボクのライターとしての哲学は、職人です。

クライアントの要望に、自分の文章力でこたえていく、これがボクの仕事です。

しかし、そうして仕事を進める中で、自分が何を書きたいのか、わからなくなってしまった時が来たのです。

案件があれば書ける。面白い本を読めば書評が書ける。

でもその対象がなくなった時、自分の内側から「書きたい」という欲求は消えてしまったのです。

「文章が好き」というだけでライターを志し、ある程度学生のアルバイト程度には仕事をもらえるようになりました。

始めたころと比べても、文章力は遥かに向上し、より広範な仕事ができるようになりました。

でも自分の心身の奥底から、「書きたい」と熱望することが沸き上がってこなかったのです。

言ってしまえば、外側の「技術」ばかり磨いていて、内側の「自分」と向き合ってこなかったのです。

もちろん「職人」としてライターをすることを批判しているわけではありません。

職人的にライターをして生活している人はたくさんいますし、素晴らしい憧れの仕事です。

ここで問題にしているのは、あくまでもボク個人の哲学の問題なのです。

面白いと思った世界観を描くという中庸の選択

最近、自分の中である転機が訪れました。

それは、友人の電子書籍出版の企画・編集を担当することになったことでした。

ボク自身、友人の伝えたいこと、やってきたことを面白いなと思っていましたし、彼の世界観にも非常に興味がありました。

最初はそれこそ「職人」として企画・編集をするつもりでしたが、実際に作業を進める中で、彼の世界観に自分が入り込んでいくような奇妙な感覚を覚えたのです。

全くの別人の彼の世界観に、「文章」というものを通して入り込んでいった先では、ボクは彼の世界観を自分の世界観のように感じることができていました。

そしてそれをあるがままに書き上げる、この快感に気がつき、そしておぼれてしまったのです。

これは、クライアントの要望にこたえる「職人」的でもありながら、自分の世界観を描く「芸術家」的でもあります。

言うなれば、「自分の面白いと思った世界観を描く」という、ある種の中庸の選択なのです。

これが、ボクのライターとしての哲学なのです。

おわりに

自分が何を書きたいのか、何をしたいのかよくわからない、だけど文章を書くのは好きなんだ。

そういう人って実はたくさんいるんじゃないかと思います。

それは文章に限らずです。ほかの業界でもたくさんいるんじゃないかと思います。

文章を書き続けて2年以上たちますが、ボクもその一人でした。

そういうときには、やはり「自分と向き合う」ことが、遠回りに見えて一番の近道なんだと思います。

文章を書くことで、自分は何をしたいのか、何を伝えたいのか、この問題について、それこそ哲学的に自問自答を繰り返すのです。

それは自分との対話でも、友人や家族との対話でも構わないんだと思います。結果として自分に向き合うことができれば、ある種の正解にたどりつけます。

ボクは今、やっと自分なりの答えが出たような気がしています。

そんな爽快感を伝えたかった文章でした。

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