立ち止まった大学生よ、打席に立て

こんにちは、superwriterです。

最近は、立ち止まるという概念によく向き合うことがあります。

それは別に物理的に立ち止まるとかそういうことではなくて、自分の中で前に進んでいないんじゃないか、と考えることがあるということですね。

そんなことを考えているうちはまだいいのですが、世の中の大学生はそういう人ばかりではありません。これは残念ながら事実です。

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そもそもどこに問題があるのか。

ボクは日本の学校の仕組みと、現代の学生の過ごし方のかかわりに問題があると考えています。

基本的に、日本の学校というのは仕組みからして、多くは高校・大学の入学時に試験を受けますね。これはしかるべき制度だとボクは思います。

しかし多くの学生に見られる、受験終了後のなんとも言えない虚脱感と達成感であるとか、受験勉強中に合格することがそもそも目標にすり替わってしまうとか、いわゆる一般的に言われるこうしたことが問題なのだと思います。

そんな人たちに向けて、一言いいましょう。

「学校というのは、入って何をやるかが大事なところです」

何を当たり前なことを、と読者の皆様は思っていらっしゃることでしょう。それもそのはず、このブログを読むような学生は大方優秀な人たちが多いのではないかと、ボクは勝手に思っています。

でも世の中そんなあなたたちばかりではない。というかむしろそうじゃない人の方が圧倒的多数なんです。

これがボクは悔しい。だって勿体ないもの。

多くの学生は無思考だ

個人的に多くの学生は無思考であると思います。

もちろんボクも無思考であるという可能性は十分にあるのですが、そこはなんとか議論の関係上、一応棚の上にあげておきましょう。

大体の学生は、高校入試、大学入試、就活の三つに合わせて進路を考えるかと思いますが、その間の期間は何をしているの?

高校生はまだマシですよ。部活もあるし、大学入試という明確な目標がある。

しかし大学生はどうだろうか。

入学してから約二年は何も考えずにふらふらしている人が多すぎる。

サークルやるとか、バイトするとか、そういうことは考えるには入りません。

どういう意識で取り組むか、その先に何を見据えているのか、そこまで考えて初めて思考的だと言えるでしょう。

基本的に多くの大学生には時間もある程度の自由もある。

しかしこの自由をはき違えている人が多すぎる。

自由というのは、ただ好き勝手に生きてもいいということではないのです。

自由というのは、選択肢があるということなのです。

そして立ち止まる

こうして立ち止まった大学生は、三年の就活の時期にぼやきだすわけですね。

やばい、面接で何も言うことがないと。

だから思考的に取り組む必要があるんです。

思考的であれば、その活動を通して失敗しても、何も生み出せなくても、自分の中に経験として残るものが必ずある。

残念なことに、今の大学生活というのはあまりに時間がありすぎて簡単にこなせてしまう。これもまた別の問題になりますが、そこはまた今度。

だから同じ世代の大学生には、こなさないでほしいんです。もっと思考的に。

思考的に、打席に立て

いくら思考的になれと言われても、毎日同じことを繰り返すような日々だったとしたら、そりゃこなしてしまうでしょうね。

だから打席に立ち続けることが重要。

つまりは、常に新しい自分を求めて行動する必要があるんです。

これは自由な大学生のうちしかできないこと。

自分が立ちうる打席は、そのまま自分の可能性を表します。

とにかく自分の可能性を広げてほしい。その先に、いずれ語りうるものが生まれます。

最後に

ということでなんか啓発っぽい文章を書いてしまいました。

とはいえ、今後の日本を担うのはボクらの世代だという事実には変わりありません。

以上、superwriterでした!!!

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